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 山ちゃんの晴れたらいいね

四季もごもご  No.2

「悲喜交々」ならぬ、「四季もごもご」。 ブログ風雑文コーナーです。
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空
H22年 9月 30日 (木)  


 仕事を辞めて三年余りになる。 バリバリ働いていたわけでもないが、時々、無性に仕事に復帰したくなる。 周囲は皆、なんらかの仕事を持ち、社会との接点を保っている。 なのに自分は、夫の傘の下で、ただ日々漫然と過ごしている。 もうすでにキャリアアップしている友人も多い。 そんな友と偶に会ってたわいもないお喋りをしていても、社会に取り残されたような不安や疎外感を強く感じてしまう。 このまま社会の片隅に埋もれ、年老いて枯れていくのかと思うと焦りにも似たものを覚える。


 確かに今の生活は、ストレスも少なく心の平静も保てる。 だが、単調で、刺激もない。 そんな生活が時々空虚に思えてくる。 これでいいのかと自問する。
 専業主婦というぬるま湯に浸かって心地よく思う自分のなかに、それを恥じ入り蔑む自分が混在する。 毎日を無為に過ごす自分がいて、それを戒める自分も存在する。 日々葛藤のなかにいる・・。


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H22年 9月 28日 (火)   彼岸花


 お彼岸を過ぎて漸く彼岸花が咲き始めた。 今年は残暑が続いた影響で、コスモスや彼岸花などの開花が遅れているという。
 毎年この花が群生する山田の里に出かけてみた。
 例年なら畦道に彼岸花が見事に咲き誇っているのに、今年はまだ半分ほどしか咲いていない。 この時期にすれば、ちょっと寂しい田園風景である。


 万葉集の柿本人麻呂の歌に、
   『 道の辺の いちしの花の いちしろく 人皆知りぬ わが恋妻は 』
というのがあるが、このいちしの花は、彼岸花ではないかとも言われている。 文献等にはっきり登場するのは室町時代以降なので、その頃に渡来したという説もあるようだ。


 この花、鱗茎で増える植物というのは知っていたが、染色体が3倍体なので、花は咲いても結実しないという。 確かに種を見たことが無い。 人によってはこの花を毒々しく感じる人もいるようなので、増えすぎず分相応に生きているのか・・。


 彼岸花を見てると、子供の頃、家族で稲刈りした記憶が甦ってきた。 この花は畦道にごく自然に咲いていた。 実りの秋を象徴する花でもある。 稲刈りの終わった田んぼで、バッタやトンボを捕まえて遊んだものだ。 貧しかったが、心のゆとりや希望があった時代・・。 遠い昔に置いてきたどこか懐かしい感情がこみ上げてきた。
 真っ赤な彼岸花は郷愁を誘う花でもある。


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H22年 9月 26日 (日)  


 今日は、モンベルのお店に秋用の山着を買いに出かけてきた。
 最近洋服を買うといえば、山着ばかり。 いざお出かけとなると着ていく洋服がない、なんてこともある。


 山着が軽くて着易いせいもあるが、夫はどこへ行くにも“山着にリュック”スタイル。 何事にもよく気が付く夫だが、着るものに関しては、全く無頓着である。 「普段仕事でスーツを着るので、休みの日くらいラフな格好をしたい」という夫の言い分もわかるが、時々一緒に歩いていて恥ずかしい思いをする。
 どういうわけか夫には、TPOに合わせて着替えるという発想が無い。 家に居る時も、お街に出かける時もほぼ同じスタイル。 おまけに、色に関する概念がかなり乏しい。 モノクロの世界にいるわけではなさそうだが、“洋服はなんでもいいから着てればいい”という感覚。 悲しいかな、何年連れ添ってもこの夫のセンスに馴染めずにいる。
 ファッションに全く興味が無い男性は、皆こんなものなのだろうか。
 娘に愚痴ると、「お父さんが、ブランド物しか着ないって言ったら、お母さん困るでしょう」と諭された。 “ものは考えよう”とはよくいったものである。


 私とて、自慢できるほどのファッションセンスを持ち合わせているわけではない。 欠点だらけの人間である。 こんな我侭な私に、夫はよくぞ我慢して尽くしてくれているとも思っている。


 別れる夫婦と別れない夫婦の違いは「相手を変えようとするかしないか」にあるという。 確かに相手を正そうとすると喧嘩になる。 そんな時は諦めるか自分が変るしかない。 我が家に限らず、どんな夫婦でも大なり小なり、我慢したり妥協点を模索しながら生活していることだろう。
 よく考えてみると、生きていく上で、センスがあるとかないとか大して重要な要素ではない。 できれば、夫のコーディネートを楽しむくらいの度量が持てたらと思っているが、なかなかそこまで到達できそうに無い。


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H22年 9月 25日 (土)  


 私は子供の頃、山に囲まれた自然豊かなところに住んでいた。 野山でいつも遊んでいたが、動物に遭遇した記憶は殆どない。 それは、野生動物と人間の棲み分けができていたからである。
 それが、この地に住むようになって、タヌキ、キツネ、イノシシ、サルといろんな動物を見かけるようになった。 車で走っていても、イノシシがウリボウを連れて歩いているとろに出くわすこともある。 六甲山中でも、あちこちに出没し、ハイカーが襲われる事件が起きている。


 新聞に、「市は周辺のイノシシ駆除に乗り出す方針を決めた」という記事が載っていた。 そもそも、ハイカーが襲われるようになったのは、人間が餌付けしたことに起因している。 人を恐れなくなったイノシシが、餌を求め弁当やリュックを狙うようになったのだから・・。


 安易な餌付けが、生態系や人間の生活にさまざまな影響を与え、結果的にその動物の命を奪うことになる。 野生動物は自然の中のルールで生きている。 彼らが、愛玩動物とは全く違う世界にいることを認識し、適度な距離感と緊張感を持って接するよう心がける必要があるのではないだろうか。 まずは私達自身が行動を改め、その上で、なんとか共存への道が模索されることを願うばかりです。


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H22年 9月 22日 (水)  


 久しぶりに一人で、映画「悪人」を観に出かけてきた。
 以前は、夫や友人と行くこともあったが、皆さんお疲れなのか、いつの間にか隣ですやすやと眠ってしまう。 それでも静かに眠っている分にはいいが、そのうち高イビキとなる。 そんな時は、もう他人のふりをするしかない。 今では一人の方が気楽でいいと、気ままに出かけている。


 この作品、メッセージ性のあるものに仕上がっている。


 殺人を犯したものが、必ずしも悪人とは限らない。 誰の心にも悪がある。 そしてだれもが、犯罪者になりうる・・。 「本当の悪人とは」の問いかけだけでなく、現代人が抱える「孤独」をもクローズアップされている。 そして、被害者、加害者を取り巻く人間模様も繊細に描かれていて味わい深い。 クライマックスの灯台のロケーションも美しかった。


 見始めは妻夫木くんの演技に少し物足りなさもあったが、映画祭最優秀賞受賞の深津絵里や、樹木希林、柄本明などの好演もあって、次第にひきこまれていく。
 祐一が、自分が「悪人」となって彼女を守ろうとするシーンには涙が溢れ出た。 余韻の残る素晴らしい映画だった。


 今日、一人で行って正解だったかも。 過激な濡れ場があるので、隣に誰かがいると、気恥ずかしい。 皆さん情報が入っているのか、単独者が多かったような・・^^。


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H22年 9月 21日 (火)  
イモムシ
 今度は、ユズの木に芋虫が!  とぼけた顔をして息を潜めるようにユズの葉っぱにくっついている。 調べてみると、ナガサキアゲハの終齢幼虫のようである。 毎年、ユズの木の近くで、アゲハが飛んでいるのを見かけるので、たぶん幼虫だろうと察していた。


 この芋虫さん、良く見ると、とても個性的で愛嬌のある顔をしている。 眼に見えるところは模様の一部で、ヘビに似せているとも言われているが、はたして鳥避けになっているのだろうか。 本物の眼はどこにあるのだろう。 キモカワイイ系の不思議な生き物、イモイモさん。 私を見て恐れているのか、殆ど動きがない。 “葉っぱと同じ色をして身を潜めていたのに見つかっちゃった。”とでも思っているのか。 申し訳ないが葉っぱごと取ってモデルになってもらった。 が、あまりじろじろ見るのも失礼なので、そっとユズの木に戻してやった。 このイモさん、一週間もしないうちに蛹になるだろう。
 他の葉っぱにも、クロアゲハの終齢幼虫や黒っぽい若齢幼虫が何匹かいる。 糞の掃除は毎日大変だが、沢山葉を食い荒らすわけでもないので、無罪放免にしてあげた。 なぜか毛虫たちとは扱いが違う^^
 虫とはいえ可愛く生まれた方が、幸せなのか。 美しいゆえに、人間に捕獲されることもある。 鳥にも人間にも狙われて、蝶の世界もなかなか厳しいようだ。


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H22年 9月 20日 (月・祝)  


 三ノ峰に登って二日目になるが、まだ脚が痛い。 特に階段の昇降が厳しい。 思わず、「ヨイショ」の掛け声が出てくる(*´―`)  まだ暫く時間がかかりそうである。


 夫が、写真の編集をしながら、「これ、ママハハコだったかなー?」と聞いてくる。 それを言うなら「ヤマハハコでしょ」。 夫はこんなに何回も花の写真を撮っているのに、花の名前が覚えられない。 花は夫にとって、被写体以外の何ものでもないのだ。 興味が無いのだから仕方が無い。 私が山に登る目的は“そこに花があるから”だが、夫にとっては、カメラだったり、歩くことそのものであったり、頂上を極めることにあるようだ。


 目的はそれぞれ違えども、こうして一緒に山歩きが出来ることを幸せに思う。 娘が、「よその家では、家庭内別居とかの話を良く聞くけど、うちの親はいつもくっ付いてどこかに出かけている」と言う。 私はそんなささやかな幸せで十分である。 着飾ることにもご馳走にも、さほど興味がない。 夫に感謝しながら、たまにはバトルをしつつ、これからも楽しく山歩きができたらと思っている。


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H22年 9月 19日 (日)  


ギンナン 公園の銀杏の実がたわわになっている。 この木の起源は、化石から約4億8000万年前~3億6000万年前の古生代といわれている。 恐竜の時代から生き続けていて、氷河期の絶滅の危機も乗り越えてきた生命力の強い木のようだ。
 それにしても、あの独特の悪臭は、ここまで生き抜くために必要だったのだろうか。


 動物たちも食用を忌避するという銀杏。 子孫を繁栄させるためには、動物に食べてもらい、拡散した方が、木にとっても意義があると考えるのだが・・。
 その答えは、「生きた化石」と言われる、この木の歴史にあるようだ。


 銀杏などの裸子植物の全盛期は、中生代のジュラ紀。 おそらく種子の散布者は恐竜だったと言われている。 恐竜にとって銀杏は、ご馳走だったのかもしれない。 今のところ、銀杏などの種子が恐竜の糞などに残る可能性は低いので、直接的な証拠はないという。
 銀杏を草食恐竜が食べていたかと思うと、太古のロマンを掻き立てられるが、未だ推測の域を出てないようである。


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H22年 9月 16日 (木)  


サルスベリ 公園のサルスベリの木が鮮やかに咲いている。 幹がスベスベで、猿が登ろうとしても落ちてしまうことからこの名が付いたと言われているが、実際には滑ることなく簡単に登ってしまうようだ。 サルスベリの木の近くには、アキノエノコログサ(秋の狗尾草)が、穂を揺らしている。 花穂を、子犬の尾に見立て、「狗子の尾草」が訛ったものだという。関東地方ではネコジャラシとも呼ぶ。


アキノエノコログサ 他にも、動物の名前がついた植物が、沢山ある。 イヌノフグリ、カラスウリ、ウシハコベ、キツネノボタン、トラノオ、ネコノメソウ、スズメノエンドウ、サギソウ、ホトトギス、サワヒヨドリ、サルトリイバラ、イタチササゲ、タヌキラン、アキノキリンソウ、ブタクサ、ウマノスズクサ、クマイチゴ等々、数え上げたらきりがない。


 動物の名のつくものの中では、「イヌ」が断然多いという。 最も古くに家畜化された動物が犬というから、やはり昔から身近な存在だったのだろう。 ただし今と違って地位はかなり低く、食用にならない、役に立たない迷惑な雑草などに付けられることが多かったようである。
 牛や馬などの家畜や農作物を荒らすスズメ、カラスなど里の動物だけでなく、山の動物の名もよく使われている。 昔は動物たちが、現代よりもずっと身近で、生活と深い関わりがあったということだろう。


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H22年 9月 15日 (水)  


有馬切手文化博物館 以前から一度行ってみたかった有馬切手文化博物館に出かけてきた。


 館内には、明治4年日本郵便創業時に発行された手彫り切手から、現在までの130余年の間に発行された切手50万点が収蔵されている。


 常時展示は4000点ほどのようだが、この日は、「関西切手展」も開催されていた。 独自のテーマに沿って収集されたもの、海外の切手など興味をそそられるものが多く、図柄や消印の変化など、切手の歴史を垣間見ることができて面白い。 切手コレクターの人は、喉から手が出そうな貴重なコレクションばかりなのではないだろうか。 戦前のものや子供の頃に見た懐かしいもの、慶弔用切手など、切手にさほど思い入れがない私でも十分楽しむことが出来た。 有馬方面に行かれる際には、立ち寄って見られてはいかがでしょうか。


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H22年 9月 13日 (月)  


毛虫 今年もさくらんぼの木に毛虫が発生した。 気が付けば、もうすでに葉っぱの三分の一近く食い荒らしている。 諦めた方がよさそうだが、あまりにも木が可哀想なので、駆除することにした。 が、この毛虫、赤黒くて群がる様はとても気持ちが悪い。 綺麗な蝶になるわけでもないだろうが、ちょっと調べてみた。 「モンクロシャチホコ」という蛾の幼虫だった。 頭と尻尾を上げるポーズからこの名が付いたようである。 終齢幼虫になると黒っぽくなり、成虫も、地味な感じの小形の蛾のようだ。


 毛虫は人間にとっては害虫だが、生き残るために彼らも必死なのだろう。 だが、同情しているわけにはいかない。 頑張って駆除しなければ・・。 駆除といっても、殺虫剤をスプレーしたり、火バサミや箸で掴み取る簡単な作業である。


 鳥が食べてくれればこんな面倒なことをする必要もないと思うが、これだけあちこち発生するということは、毛虫は鳥にとってご馳走ではないということか。 どう考えても毛虫より芋虫のほうが食べやすいに決まっている。 それでも時々捕食されることもあるのか、鳥たちに見つからないよう木や葉に隠れたり、同化したりしている。 何よりも毛虫軍団は数で対抗している。 見れば見るほど気持ちの悪い生き物だが、それは人間の主観であって、捕食者にとってはおいしそうな獲物でしかない。 人間が、美しく見えているものも、他の生き物からすれば、気持ち悪く見えているかもしれない。 たまには、視点を変えてみるのも面白い。 それにしても、毛虫ごときでこんなことを考える私は、よほどの暇人か、変人か。


 ハナザクロ、シデコブシ、サクランボの木と、毎年繰り返される毛虫との格闘・・。
 昨年までは、愛犬への影響を配慮し、薬剤の散布を避けてきたが、もうその心配もない。 そろそろ夫にお願いしたいところだが、内気で控えめな私は、それを言えずにいる。^^


 今夜は、毛虫の逆襲にあってうなされそうである。\(>o<)/

<写真は終齢幼虫>


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H22年 9月 9日 (木)  

栗ご飯
 昨日、田舎の叔父から新米と早生栗が届いた。 この季節になると毎年、秋の味覚を送ってくれる。 そんな叔父の心遣いが有難い。 早速、栗ご飯にして頂いた。 ホクホクとした栗のなかに、懐かしい故郷の香りがした。


 もう二年近く帰っていない故郷。
 遠隔地にいる私をこうして気遣ってくれる叔父や叔母がいて、娘の帰りを心待ちにしている両親もいる。 近くに住んで、甲斐甲斐しく両親の世話をしてくれる姉がいて、実家を守ってくれている心優しい兄夫婦もいる。 私がこの地で平穏に暮らせるのも、姉や兄夫婦のお陰である。 なのに、遠方に住んでることを言い分に、すっかり不義理をしている。


 この歳になっても、帰る故郷があるのは幸せなことである。 老屋に住んで年老いていく両親を想うと、なんとも切なくなる。 そろそろ、顔見世に帰らねばと思うが・・ 故郷は遠い・・。


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H22年 9月 8日 (水)  
セミ

 あれほど大音量だったセミの声が、すっかりトーンダウンしている。 恋が成就したのか、それとも破れ散ったか、はたまた鳴き疲れてしまったのか・・。
 この頃は、秋の虫の声が日増しに大きくなっている。 そろそろ、その座を明け渡す時がきたようである。


 今年のセミは、我が家に“脱け殻”という置き土産をいっぱい残していった。 脱け殻は、基本、葉っぱの裏に残しているが、洗濯ものの靴下に付いていたのには驚かされた。 どうやってそこに這い上がってきたのだろうかと想像すると、可笑しくもある。 そのへんの経緯はセミに聞かないとわからないが、これだけ脱け殻が多いということは、今年の暑さに何らかの関係があるのだろうか。 それとも単に、住み心地がよかったのか?


 我が家の庭には、それほど大きな樹木はないが、裏庭にさくらんぼの木がある。 幼虫は樹木の根から養分を摂って生活しているというから、そのあたりに多く生息してるのだろう。 毎年、夏になるとジージー、ミンミンと、うるさく鳴き散らかしていくセミたちだが、夏の終わりとともに消えゆく儚い命である。


 人生の大半を地中で過ごし、残りの僅かな期間を、地上で暮らすという一生を、セミはなぜ選んだのだろう。 地中での長い生活には、それなりに大きな意味があるということなのだろうか。 それにしても、あれだけ鳴き叫べば、外敵にも狙われてしまうと思うが、そんなリスクを背負ってでも、子孫を残すために、雌を求め鳴かざるを得ないのか・・。
 人間には、到底理解できないセミの世界である。


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H22年 9月 7日 (火)  


 久々の雨で、今朝は心なしか凌ぎやすく感じた。 このまま、台風9号が秋を運んでくれると思いきや、台風通過後も太平洋高気圧は衰えず、今月中旬まで暑い日が続くという。 新聞の小見出しにも、「苦月(くがつ)」や「惨暑」など、この年の暑さを捩った表現が目立つようになった。 いったい、爽やかな秋はいつやってくるのだろう。


 明日は、二十四節気の一つ白露。 白露とは、“大気が冷え、野の花に露が宿って白く見える頃、秋の気配がひとしお感じる頃”とあるが、なかなか暦どおりにはいかないようだ。


 今年のような、「ラニーニャ現象」の年は、夏は猛暑となり、冬は厳冬になると言われている。 短い秋が終わると、今度は「寒い、寒い」と言わなければならないのか。
 小柄で細身な私は、猛暑にも冬の寒さにも弱い。 こんな異常気象が続くと、この先、いったいどこに住めばいいのだろう^^


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H22年 9月 5日 (日)  


? 私達家族は、クイズ番組を良く見る。 文系の問題では、私も娘もさほど夫に引けをとらないが、こと理系の問題となると主導権を渡さざる得なくなる。 特に、計算力や思考力を要する問題となると、全く歯が立たない。 頭のどの“引き出し”を探しても、問題を解くベースとなっているものが入っていないのである。 夫は、そんな私達を横目に、父夫権を誇示するかのように、頭をフル回転して問題を解き始める。 その誇らしげな顔が、ちょっぴり憎らしくもあり、羨ましくもある。
 こんな時は、生まれつき頭の構造が違うのだと諦めるしかない。


 若い頃は、もう少し頭が良かったら、また違った人生があったのではと考えることもあった。 だが、今更無い頭を嘆いても仕方ない。 人生80年と考えれば、もうすでに、三分の二を過ぎたところにいる。 今では、アルツハイマーや認知症の方が心配になってきている。 物忘れが酷く、夫婦して、「あれ」、「それ」、「これ」の指示代名詞が多くなってきた。 夫でさえも「あそこの、あれ取って」などと言う始末。 いくら長く夫婦をやっていてもわかるはずが無い。α~ (―.―”)   この頃では、無意識の行動も多くなってきた。 いつぞやは冷蔵庫のなかに財布が入っていたこともある。 ついにここまで来たかと、落ち込んでしまう~ρ(。。)
 最近では、私にとって頭の良し悪しは、大して重要なことではなくなっている。 今後、脳の活性化をどうすべきかが、喫緊の課題となっている。


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H22年 9月 3日 (金)  


キキョウ 先日、桔梗の花を眺めていて、ふと考えた。 万葉集に出てくる朝顔は、桔梗のことだといわれているが、一体いつから「アサガオ」が「キキョウ」になったのだろう。


 万葉の頃、「アサガオ」は特定の花を表す名前ではなく、朝咲いて夕萎む“一日花”を総じて呼んでいたようだ。 桔梗や槿(むくげ)だけでなく、あれもこれも「アサガオ」と呼んでいたのかもしれない。 現在、私達が見ている「朝顔」は、奈良時代に種として遣唐使によって日本に伝えられたという。 朝顔も“一日花”故、桔梗や槿(むくげ)同様、いつしか「アサガオ」の呼び名の中に含まれるようになり、現在に至ったということだろうか。


 「キキョウ」の呼び名は、漢名の「桔梗」を音読みしたことに由来し、その語源は、根が硬直して硬いことからと言われている。 古くから日本でも漢方薬として用いられていたので、この「キキョウ」という名が、いつの間にか一般化していったのだろう。 枕草子や源氏物語には、桔梗や朝顔が区別して取り上げられていることから、平安時代前半には、すでにこの「キキョウ」という名が確立していたとも言われている。


 万葉の頃から、人生の儚さに例えられる“一日花”。 古人が「アサガオ」と呼んだ花々は、人生の無常観に準えながら、いつまでもこの地に脈々と受け継がれていくことだろう。


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