「悲喜交々」ならぬ、「四季もごもご」。 ブログ風雑文コーナーです。
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H22年 12月28日 (火) 曇/雨
神戸もこのところ寒い日が続いておりますが、皆様お変わりございませんか。
クリスマスが終わって、街はもうすっかりお正月モード。 2010年も残すところあと僅かですね。 一年って本当に早いですね。 今まで、時の流れを早く感じるのは無為に過ごしてきたからだろうと思っていたのですが、こういうことは年齢を重ねると誰もが感じることのようですね。
いささか旧聞に属するかもしれませんが、人が感じる年月の長さは小さいときにより長く、年を取ると短く感じるという現象を心理学的に解明したものを、ジャネーの法則というそうです。 50歳の人間にとって一年の長さは人生の50分の一ほどですが、5歳の人間にとっては5分の一に相当するという。 つまり5歳の人間の一日が50歳の人間の10日に当たるのだそうです。
田舎の叔母が「私の年齢になると一年がもっと早く感じるようになるよ」と話していたことがありましたが、年齢を重ねる毎に時の流れが加速していくのは、抗いようのないことのようですね。 だからこそ時間を大切にしなければならないのに、毎年この時期になると無為徒食に過ごしてきたことを後悔してしまう私です。
来年は卯年。 来年こそはうさぎのように元気よく跳ねて飛躍の年にしたいものです。
それでは皆様、お健やかに良いお年をお迎えくださいませ。
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H22年 12月21日 (火) 晴/曇/雨
娘が山形から届いたりんごを見て、アップルパイが食べたくなったという。 昔作ったことがあるが、生地作りが面倒だった気がする。 しかし要望とあらば作らないわけにもいかない。
アップルパイのりんごは紅玉が定番だが、“テキトーをモットー”に生きている私としてはふじりんごでも拘りがない。 今回は生地作りを省略し、冷凍パイシートを使用。 超簡単に本格デザートが出来た。 夫も娘も「美味しい~♪」と、好評だった。
「ふじ」りんご |
手作りアップルパイ |
手作りアップルパイ |
漬け物 |
この時期りんごと共に、送られてくるのが、義母手作りのお漬物。 これが絶妙の味付けでとても美味しい。 漬物といっても薄味でとても食べやすく、娘も夫も好物なのでこの季節になるといつも心待ちしている。
働き者で芯が強くしっかり者の義母。 年輪を重ねても矍鑠としていて、嫁の私の方が先に呆けるのでは心配になるほどだ。^^ いつも前向きで気が若くて優しい義母は私達夫婦の誇りでもあり、目標でもある。 遠隔地に住んで不義理ばかりしているが、14年前に逝った義父の分まで元気で長生きして欲しいと願っている。
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H22年 12月19日 (日) 晴
夫が、車をスタッドレスタイヤに履き替えてくれた。 2台替えるのはかなり体力がいるようだが、出費が嵩むこの時期、節約になるので助かっている。
今日はお掃除日和。 いくらずぼらな主婦とは言え、頑張ってる夫の手前働かない訳にはいかない。 朝から冷蔵庫や洗濯機、網戸の掃除、ガラス拭き、カーテンの洗濯、庭の草引き等と、久し振りに良く働いた。 やれば出来るもんだ^^
キッチン周りは一週間前に終わっている。 電球の交換、お風呂の排水溝や洗面所のパイプ掃除も夫がしてくれたのでとりあえず大掃除は完了した。
20年以上も経つ安普請の家なので、いくら頑張っても綺麗にはならないが、一年間の垢や埃がとれ、これでなんとかお正月様を迎えることが出来そうである。 次は年賀状。 何が忙しいというわけでもないのに、なにかしら気ぜわしい日々が続いている。
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H22年 12月16日 (木) 晴/曇
師走も半ばになってきた。 街を歩けばクリスマスソングが流れ、どことなく気ぜわしい。
今や日本人にとって不可欠なイベントになっているクリスマス。 いつの間にか、楽しいイベントならなんでもO・Kと言う考え方が定着してしまっている。 クリスチャンでもないのに、商魂逞しい業者に乗せられ、あれこれ買ってしまう。 かくゆう我が家もそんな世間の風潮に流されクリスマスを楽しんできたが、子供の成長とともに規模が縮小し、最近ではプチクリスマスになっている。
いつも心のどこかで「日本人って変」って思いながらも、経済効果が大きいとあらば、敢えて異を唱えることもないだろうとの考えに落ち着く。 暗いニュースが多く、消費が落ち込んでいる時こそ明るいイベントで盛り上がるのも必要だろう。 四の五の言わず割切って大いに楽しむ方がいいのかもしれない。
つらつら考えるに、久しくクリスマスプレゼントを貰っていない。 最後に貰った感動は、遠い遠~い記憶の彼方。 残念ながら今年も感動のないクリスマスになりそうな予感がする^^
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H22年 12月15日 (水) 晴
私は常日頃から自分の記憶力の悪さを情けなく思っているが、それも不都合なことばかりではないと思える時がある。 それはドラマや映画は何度でも楽しめるという利点があるからだ。 サスペンスなどは、犯人すら忘れていることもあり、
クライマックスが近づいて初めて「これ観たことあるわー」となる。 再放送が何度も繰り返されているのは、未見の人のためだけでなく、私のような忘れっぽい人間が沢山いるからだろうか。
忘れる
歳をとるたびに いろいろなものを 忘れていくような 気がする
人の名前 幾つもの文字 思い出の数々
それを 寂しいと 思わなくなったのは どうしてだろう
忘れてゆくことの幸福 忘れてゆくことへの あきらめ
ひぐらしの声が 聞こえる
98歳の詩人、柴田トヨさんの「くじけないで」の詩の一編です。 “忘れてゆくことの幸福”って深い言葉ですね。 長年生きてきた彼女ならではのメッセージには心に沁みるものがあります。
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H22年 12月14日 (火) 晴
散歩中、夫が「クマは冬眠できたかなあ?」と聞いてきた。 「そう言えば、秋にはクマの出没が相次いでいたのに、最近そのニュースを聞かなくなったね。」 そんな会話をしていた矢先、またもやTVでクマの目撃情報を耳にした。 「もうとっくに冬眠に入っていると思っていたのに、まだ頑張ってたんだ~。」
私は今まで、餌がないので栄養が蓄えられずに冬眠(冬篭り)が遅れているのだろうと思っていたが、専門家の話によると、餌がない年の方が早めに冬眠し、餌がある年はなかなか冬眠しないのだという。 確かに動物園のクマは食べ物の心配がないので冬眠しないというから得心がいく話ではあるが、それならなぜ今年は森に餌が少ないのに、早く冬眠しないのだろう。 人里で餌を調達できることを覚えてしまったから、眠りにつかないということなのだろうか。 それはそれで困った話である。
最近では動物園のクマも人工的に冬眠させる試みがなされているという。 冬眠するクマは、蓄えた脂肪を消費しながら生命を維持しているため、春目覚めた頃にはげっそり痩せ細っているが、冬眠しない動物園のクマは、栄養過多になってメタボになってしまうのだという。 冬眠するクマの方が長生きするというのだから、それが本来あるべき姿なのだろう。
動物園によっては冬眠展示を行っているところもあると聞く。 冬の動物園でしか見られないそんなクマの姿をちょっと覗いてみたい気もするが、取り組みはまだ浅く関西では見られないのが残念である。
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H22年 12月11日 (土) 曇/雨
明日は夫の誕生日。 もう祝ってもらって嬉しい年でもないだろうが、常日頃の感謝をこめて、家でささやかなお祝いをすることになった。
といっても、特別手の込んだお料理をするわけでもない。 冷蔵庫に頂いたふぐがあるので、てっさとてっちりをメインに、生春巻きなどを添えた簡単な料理である。 それでも我が家にとっては“おご馳走”なのだ。
夫はとかく外食を嫌うので、いつも和食をベースに何かしら作ってはいるが、料理はさほど得意な方ではない。 大事なところでひと手間省くずぼらな性格に起因しているのだろうか、いつまでたっても上達しない。 残念ながらセンスもない。 毎日献立を考えるのも億劫で、この頃はワンパターンになってしまっている。 同じ材料で作ってもいつも微妙に味付けが異なって、私は何年主婦をやってるのだろうと自己嫌悪に陥る時もある。
それでも、家で食べた方が落ち着くというのだから、それほど不味くはないのだと勝手に思い込んでいる。 妻流の味付けにすっかり慣らされたのか、自分が全く料理ができないので諦めているのか、私の拙い料理でも文句も言わず食べてくれている。
我が家の平和は夫の忍耐の上に成り立っているといっても過言ではない。 夫にはいくら感謝してもしきれないが、夫の頑固な性格が直らないように、私の我侭な性格もおいそれとは直りそうにない。 せめて料理が少しでも上達できるよう、精進したいと思っている。
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H22年 12月 9日 (木) 曇
実姉から大好きな柿が送られてきた。 以前の職場で、果物が全く食べられないという人がいて驚いたことがあったが、夫も私も、果物は何でも好物なので頂くと有難い。 お隣さんにもお裾分けしたが、沢山あるので柿羊羹に白和え、甘酢漬けを作ってみた。
柿羊羹は甘さ控えめに、白和えはホウレン草と胡桃を入れ、甘酢漬けは、田舎で貰った大根と合わせて漬けてみた。 私としては、シンプルな甘酢漬けが一番美味しかったが、さてさて夫はどんな反応をするだろうか? 「そのまま食べた方が美味しい」って、言いそうな予感もするが・・??
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H22年 12月 8日 (水) 晴
実家の父は大酒飲みなので、いつも管を巻いて周りに迷惑をかけて困っている。 壊れたテープのように同じ話が何度も何度も繰り返される。 「また始まったか」と、我が親ながら辟易する。 耳にタコもイカも出来るほどお定まりの話を聞かされるのだ。
酒飲みに限らず、人は皆、年齢が増すにつれ同じ話を繰り返す傾向にあるようだ。 私もそんな年齢に近づいているのだろうか、時々同じ事を喋っている。 一度話したかどうかも忘れて「これ話したかな?」と聞く有様。 そんな時は、CMのフレーズではないが、「大事なことなので、2回言ったのね」と、娘がフォローしてくれている^^
娘に、父の“耳タコ”の話をすると「スルースキルが上がってよかったやん」と、軽くあしらわれてしまった。
私の場合は、とてもスキルが上がったとは思えないが、現代のようなストレス社会のなかでは、スルー力を身につけるのもストレスを回避するための重要な処世術なのだろう。 不快な事に一つ一つ反応していては身が持たないのも頷ける話である。 世の中には、「スルー力検定」というものもあるというから面白い。
今や何でもかんでも「○○検定」という検定ブーム。 こう氾濫してくると、ちょっと食傷気味になってくる。 ユニークな検定には、「なまはげ伝道士検定」「時刻表検定」「銭湯検定」「夜景鑑賞士検定」「お好み焼き検定」「犬の飼い主検定」「ダイエット検定」というのもあるようだ。
この検定ブームの火付け役となったのが漢字検定と言われている。 私もボケ防止になると思って、10年ほど前に3級から準1級まで受験したが、最近では何をしても気力が続かず受験意欲も減退気味になっている。 昨年購入した「神戸学検定公式テキスト」の本も全く面白みがないので読破できず、いつの間にかお蔵入りになってしまった。 また引っ張り出して読んでみようかとも考えるが、眠剤替わりにしかならないかもしれない^^
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H22年 12月 6日 (月) 晴
昨日、今日と、家にいるのが勿体ないような風も穏やかな小春日和が続いている。 外出の予定もないので、いつものように散歩に出かけてきた。 日差しが暖かでポカポカと気持ちがいい。
空を見上げると綺麗なスジ雲が・・。 このスジ雲、帰って調べてみると、上空5000mから1万3000mの高層に発生する巻雲と呼ばれる雲で、高気圧に覆われたような日によく現れるとあった。
暫く歩くと白い花が目に付いた。 お茶の花のようである。 「へぇ~、こんな時期に咲くんだぁ」 今まで幾度か見たことがあるはずなのに、さほど気に留めることもなかったお茶の花。 花は10月頃から咲き始めて一冬咲き続けるようだ。
茶畑では、養分を葉っぱに集中させるため、花を咲かせないように手入れしているというから、花を見る機会が少ないのも頷ける話である。
何もしなくても季節は巡ってくるのだろうが、こうして日々四季の移ろいや風情を感じながら暮らせることを幸せに思う。
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H22年 12月 3日 (金) 曇/雨/晴
実家の兄夫婦の家では、猫を八匹飼っていて、まるで猫屋敷になっている。 その上、ボーダーコリーが2匹いる。 食費は嵩むだろうが、一軒家で広々とした庭なので、犬も猫も伸び伸びと暮らせて幸せである。
甘えん坊で人懐こいボーダーコリーと遊んでいたら、昨年逝ったルナのことを思い出した。
11月27日はルナの一周忌だった。 夏に ~>゜)~~~~ が出て、ここのところ怖くて墓に近づけずにいる。 すっかりご無沙汰しているので、寂しがっているかもしれない。 少し遅くなったが、明日は家族で墓参りに出かけようと思っている。
天国へ旅立った時は、夢でもいいから会いたいと思っていたのに、私は薄情な飼い主なのだろうか、この頃愛犬のことを忘れてる日が多くなった。 そのことを墓前で詫びねばならない。
一度だけルナが夢枕に立ったことがある。 野山を楽しそうに駆け回っている夢だった。「天国で楽しく暮らしているよ」と報告にきたのだろうか。 今はもう、どんなに願ってもルナに会うことは叶わない。 ただただ、愛犬の冥福を祈るばかりである。
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H22年 12月 2日 (木) 曇
2年振りに故郷の土を踏んだ。 山間部なので、空気が澄んで清々しい。
父が、私の顔を見るなり「婆さんになったのう」という。 それが久し振りに会った娘に言う台詞だろうか^^ 相変わらず口が悪いが、もうすっかり慣らされている。 なによりも、事実なので反論も出来ない^^
今回の帰省は父の米寿の祝いも兼ねている。 老々介護をしながら、老いを生きている父。 認知症の母の食事の世話をしているのが生きる張り合いになっているのだろうか。 大酒飲みだが、五臓六腑にさほど問題はなく長生きしてくれている。
若い頃から理性があまり利かないタイプだったが、困ったことに年老いて一層その性格に磨きがかかっている。 もう少し柔和で可愛い老人になれば、皆に大事にして貰えるのにと思うが、口が悪く我侭で頑固な性格は直りそうにない。
老いていく自分の身体やいずれ受け入れなければならない死を受容できずに苦悩しているようでもある。 心と身体の老化がリンクすれば、さほど苦しまずに済むのだろうが、思い通りにならない身体に苛立ち、感情を爆発させて兄夫婦や周囲に随分と迷惑をかけている。
そんな父ではあるが、親戚が一堂に集まってくれて、米寿の祝いを盛況に挙行することが出来た。
心配していた母の認知症も、さほど進行することもなく、途切れ途切れだが会話も出来るのでとりあえず安堵した。 兄夫婦や姉、ヘルパーさんに助けられながら在宅介護が受けられる母は幸せ者である。
気が短くて頑固な父に長年連れ添い随分苦労をしてきた母。 皺皺の手と曲がってしまった指が、母の辛労辛苦の人生を物語っている。 せめて晩年は心穏やかに過ごして欲しいと願っている。 子供にとって、人格が荒廃していく親の姿を見るのは哀切極まりないが、可愛く呆けた母の笑顔は、天使のように優しく私達を癒してくれている。 認知症になっても感謝の言葉だけは忘れずにいる母。 そんな母がとても愛おしい。
親というものは生きてくれてるだけで有難いものだ。 こうして親孝行の真似事が出来るのだから・・。
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