「悲喜交々」ならぬ、「四季もごもご」。 ブログ風雑文コーナーです。
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H22年 11月30日 (火) 晴
三泊四日の里帰りだったが、トラブルもなく昨日無事帰宅。 高松廻りだと休憩込で5時間半で帰ることができた。 平日とあって松山までは快調に走れたが、それより西の無料区間になると、俄然走行ペースがダウンする。 一般道感覚で運転する人もいて、延々と60km/h で先導してくれる。 「おいおい、ここは一般道か!70kmの道を60kmで走らんといてや」と、一人突っ込みを入れながら運転^^
この松山自動車道は高齢者の逆走事件も時々起きてるようだ。 逆走車に遭遇したら咄嗟に回避できるものだろうか。 全く自信がない。 迷惑極まりない行為である。 逆走は重大事故に繋がりかねないのは言うまでもないが、大渋滞や通行止めなどによる社会に与える影響も大きい。 逆走した運転者の7割強は65歳以上の高齢者という。 そんな話を聞くと、自分が高齢になった時、時代の変化に対応できるだろうかちょっと不安になる。
走行中、心配した夫から「ゆっくり走りなさい。安全第一」と言うメールがきた。 その文言そのまま夫に返信したいくらいだ。 娘が、「お母さん、お父さんの運転する車によく乗ってられるね。 助手席になんか恐ろしくて乗れたもんじゃないわ。 お母さんの運転の方が、よほど安心やわ」と言う。 助手席での恐怖体験がトラウマになってしまったようだ^^ 今までかなりの距離を走って運転に絶対的な自信を持ってる夫は、スピードを出しすぎないようにと言う妻の忠告を聞き入れようとしない。 そろそろ年齢を弁えて欲しいと願っているが、頑固な性格で困っている^^
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H22年 11月25日 (木) 曇/晴
運転に自信がないが、明日は実家に帰るため、6時間も運転しなければならない。 いつも高速の運転は夫の仕事と勝手に決め付けている私だが、実家に帰るときだけは、仕方なく自分で運転している。 夫を同伴しない方が年老いた両親に気を使わせずに済むという、私なりの配慮からだ。
夫は山形の実家まで11時間も運転することがあるが、運転の苦手な私には6時間でも長くて覚悟がいる距離だ。 時々、なんであんな片田舎に生まれたんだろうと考えてしまうが、自分のルーツがそこにあるのは曲げようもない真実なのだ。 人の数よりイノシシの数の方が多いような過疎地であるが、それでも生まれ故郷には愛着がある。 なによりも娘の帰りを待っている両親がいる。
もう田舎へは何回も一人で運転して帰っているというのに、2年振りとなると不安になってくる。 自分の運転技術の未熟さは経験のなさから来るものだと分かっていても、この期に及んでは如何ともしがたい。
実家に帰る選択肢は3ルートあるが、いつもは交通量の少ない山陽、瀬戸大橋経由で帰っている。 瀬戸内の海を眺めながら橋を走るのは爽快だ。 だが、風が強いと一転して車が揺れて恐ろしい。 今回は、気分を変えて高松経由で帰ってみようかなどと考えている。 さてさて明日の天気はドライブ日和になるだろうか。 なんとも心許ないが、人様に迷惑掛けることなく無事田舎に到着し、帰還できることを祈るばかりだ。
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H22年 11月22日 (月) 雨
今日は、ちょっと気が早いが忘年会に出かけてきた。
朝から夫が、「今日は、おばちゃんの集まりか、平均年齢何歳や」と嫌味をいう。 「21歳」と軽くかわしたが、妻のお気楽な生活をいつも見てるので、“忘れたい苦労などなかろうに”とでも思っているのだろう^^
忘年会と言っても、ただお喋りして食べるだけの会。 子供も成人したので特別大義名分も必要ないが、「忘年会」といった方が、なんとなく出かけやすい。
昔は少々見栄を張って、贅沢なコース料理を頼むことが多かったが、最近は専ら懐具合を気にせず楽しめるバイキングを利用することが多くなった。 だが、今日は“太ったサイン”が出たので、思い切り食べられない。 私は骨格が小さいので、少し体重が増えただけでも二重あごになり醜くなる。 それが、夫には気になるようで、本人よりも先に太ったサインを指摘してくる。 ただでさえ、老いていく自分の顔を受け入れがたく思っているのに、これ以上容姿が醜くなっては扱いかねる^^
バイキングはどうしても食べ過ぎるきらいがある。 かといって「これからは精進料理にしよう」とも言えない。 せめて家では腹七分目を心がけねばと思うが、自制心の効かない自分がいる。
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H22年 11月21日 (日) 晴/曇
日本史有名人の臨終図鑑(篠田達明著)を読んでいるが、これが結構面白い。
歴史人物111人の病歴と死因を、時空を超えて診断した臨終直前の「カルテ」集である。 それぞれの人物の生き様、死に様が医師ならではの視点でユーモラスに描かれていて、素人にも読みやすく歴史の勉強にもなる。 軽妙洒脱なイラストもいい。
日本史に造詣が深くない私でも十分楽しめる作品となっている。
テレビや映画で観る徳川の将軍様は、カメラ映りのいいイケメン系が多いが、実像はどうだったのだろう。
徳川家康は、ずんぐりむっくり型。 3代家光は、貧相で風采があがらぬ将軍で、長らく鬱病を患っていて、尚かつ男色にふけっていたという。 4代家綱は、乳児期に脳膜炎に冒され、その後遺症と思われる知的障害があり、5代綱吉は、生母桂昌院に過保護に育てられ、偏執狂で低身長だったようだ。 7代家継も虚弱児で、急性肺炎(疑)でわずか8歳の短い生涯を閉じている。 9代家重は、アテトーゼ型(不随意運動型)脳性麻痺があり、肖像画にも脳性麻痺の症状が生々しく描かれているという。 13代家定も、生まれつき病弱で、17歳の時重い痘瘡を患い、後遺症として顔面と手足に痙性麻痺をきたしていたとある。 家康や慶喜などは長生きしているが、徳川将軍15人の平均寿命は51歳だったようだ。 将軍と言えども、医学の発達していない時代、さまざまな病に苦しんでいたことがうかがえる。 江戸時代には、インフルエンザの流行が27回もあり、6代家宣の死因もインフルエンザ肺炎のようである。
抗生物質がなかった昔は、伝染病で命を落とす人が大勢いたのだろう。 「荒城の月」などの名曲を残した滝廉太郎は25歳の若さで、宮沢賢治や正岡子規、石川啄木、樋口一葉なども若くして肺結核で命を落としている。 彼らが今の時代に生きていたら果たしてどうなっていただろう。 貧しき時代に生きたからこそ、後世に名を残す人物になったのではないだろうか。
他にも、紫式部は才女ではあったが、どちらかといえば不美人で、男性にあまり恵まれなかったため、欲求不満のはけ口として源氏物語を書いたとか、母親と妻を麻酔薬の実験台にした華岡青洲を、医師法違反ならびにドメスティック・バイオレンスと決め付けるあたりも面白い。 絶世の美女小野小町は、中年になって急に容色が衰え、男性が寄り付かなくなり、気落ちして一種のノイローゼに陥ったとも記されている。 四谷怪談のお岩さんは、上顎癌だったのではないかという推測も医師ならではの見解だ。
それにしても私は、日本史の時間、お昼寝をしていたのだろうか^^ 2巻のなかに、初めて目にする人物が十名以上もいた。 この年になっても知らないことだらけである。 それも全て自分の生ぬるい人生の顛末なのだから、潔く受け入れるほかはない。 秋の夜長、時間はたっぷりあるが、例え知識欲があっても、目も疲れ易くなり集中力が持続しなくなった。 この本もいつ読み終えることやら・・(~ヘ~;)。
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H22年 11月18日 (木) 晴/曇
紅葉前線も山から里までに下りてきて、裏六甲も今が真只中です。 と言っても、このあたりは紅葉というよりむしろ黄葉がメインなので、美しい山岳紅葉を見てきた私達には少し物足りない感があります。
六甲山の紅葉は、赤く染まるカエデ類やウルシ類などもありますが、一般的にはコナラを中心とした雑木林で、常緑樹も多いため、派手さはありません。 それでも、森林植物園、有馬の瑞宝寺公園、高山植物園などの名所が点在しているため、この季節は大勢の観光客で賑わっています。 最近歩いていませんが、山の彩りとしては表六甲の方がもう少し美しいのではないでしようか。
期間限定のこの風景も、もう少しすると赤茶けた景観に変ります。 季節が冬に移行する晩秋って、少しもの悲しさを感じますね。
紅葉を見ながら「山は晩秋の装いだね」と言うと、夫が、「お父さんの髪の毛も晩秋の装いだよ。」と自虐ネタで返してきた。 夫の頭髪も寄る年波には抗えず、晩秋から初冬に移りつつあるようです^^ 仕事のストレスだけでなく、不出来な嫁を持ったので、気苦労が多いのでしょう。 今まで病気もせず、家族のために頑張ってくれた夫に感謝です。
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H22年 11月15日 (月) 曇
山歩きをしている時、いつも夫の歩調に合わせようと懸命に歩いている。 そのせいか、街を歩く時もいつの間にか早足になっている。 一人で出歩いたりする時はいいが、友人達と旅行に行って一緒に歩く時、なかなか歩調が合わせられず困っている。 はっと気がつくと一人先頭を歩いていたりすることも珍しくない。 習慣とは恐ろしいもので、最初は一緒にお喋りを楽しんでいても、いつの間にか早足になって友人達を置いてけぼりにしている。
友達と旅行に行くと、観光よりお土産買いを主眼に置いている友が必ず一人二人いて、あっちの店こっちの店と立ち寄って、なかなか前に進まない。 女性は年齢がいくほどお土産を沢山買う傾向にあるようだ。 それが旅の醍醐味の一つだと理解できるので、私は引き返して、買い物が終わるのをじっと待っている。
私の性格は、どうも団体行動には向いてないようだ。 山で団体さんに会うと、歩調が乱されるので、できるだけ距離をとって歩くようにしている。 旅行に出ても、お土産屋さんにはあまり興味がなく、お土産品を見る時間があったら観光に時間を割きたいと思ってしまう。 行動を共にすることが多い夫も同じ貧乏性的思考なので気が合うが、長年一緒にいるので会話があまり弾まない。 山は夫と共感できるが、旅行は友人との方が楽しくテンションもあがる。
中年以降になると、旅行は女友達と行く傾向にあるようだが、これがまた、年老いて体が弱ってくると、今度は長年連れ添った労わりあえる連れ合いの方が安心と言うことになる。 私を含め女性は厚かましくできてるようである。
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H22年 11月11日 (木) 晴
今年も山形から大好きな「ラ・フランス」が送られてきた。
フルーツ王国、山形の特産品であるラ・フランスは、その形の悪さから「みだくなす」と称されている。
「みだぐなす」とは「見たくなし」、つまり「みばえが悪くかっこ悪いもの」という意味の方言だ。 こんなあだ名をつけられていたラ・フランスだが、不恰好さとはうらはらに、驚くほど上品でとろけるような美味しさから全国区となり、果物の女王と呼ばれるようになったようだ。
どんな食べ物でも食べ頃のタイミングがあるが、その難しさの最たるものがラ・フランスである。 未熟だと硬くてすっぱく、熟しすぎるとドロドロになる。 食べ頃の判断は、指で押すと柔らかさを感じる。
軸をつまみ、軽い力で左右に動く。 軸の廻りの皮にシワが出始めた頃。 皮を剥いた時に果汁が滴り落ちるぐらいの硬さなどとなっているので、この兆候を見逃さずに食べなければならない。
洋なしは、基本一気に熟してくるので食べ頃になるとそれはそれで忙しい^^
私達は長年食べ慣れているが、ご近所におすそ分けする時の見極めが難しい。 以前、一度硬いままであげて、あまり美味しくなかったと言われたことがある。 それ以来、食べ頃のタイミングを計ってから
おすそ分けするようにしている。
今回、食べ頃になるまで、少し時間がかかるようなので、「赤ワイン煮」にしてみた。 鍋に砂糖(我が家は甜菜糖を使用)赤ワイン、レモン汁、水を入れ、沸騰したら剥いたラ・フランスを入れ弱火で煮るとでき上がるが、
一晩冷蔵庫で寝かせたほうが美味しいようだ。 アイスクリームを添えると極上のデザートになった。
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H22年 11月 9日 (火) 晴
実家から果物や野菜が沢山送られてきた。 娘が「箱、詰め放題みたいだね」と面白がっていたが、野菜高騰の折、買えば高いので助かっている。 サトイモは山形の郷土料理である芋煮にして、サツマイモは久しぶりにスイートポテトにした。
子供が小さい頃は、良くケーキやお菓子を作ったものだが、子供達が成長して息子は県外に、娘はカロリーを気にするお年頃になって、めっきりお菓子作りから遠のいている。
思えば、子供のために洋裁や編み物、お菓子作りをしている時が一番充実していた気がする。 認知症を患っている田舎の母も、子育てをしていた頃が一番幸せだったのだろうか。
数年前から母は、時々記憶が混乱したり昔に戻ったりしている。
二年前帰省した時、午睡していた母がぱっと起きてきて「お弁当を作らないと」と言い出した。 聞けば、私のお弁当のようである。 久しぶりに帰ってきた娘の顔を見て、夢と現実の区別が出来ず混乱したのだろう。 学生の頃も就職した後も、田舎に帰省した時はいつも手作りのお弁当を作って持たせてくれていた。 私の出現が、忙しく子育てをしていた遠い昔の記憶を呼び起こしたのだろう。
散歩に出かける時も、私に「一人になるけど大丈夫か」と心配そうに尋ねてくる。 母のなかの私は何歳になっていたのだろう。 自分はヘルパーさんに付き添われて手押し車で散歩しているような状態なのに、それでも娘の心配をしている。 親心とは有難いものである。 暫くして「お母さん、私、もう50過ぎてるのよ」というと、驚いたような顔をして、「もうそんな年になったのかー」と感慨深げに言う。 時々、見当識障害が出たり、逆行性喪失で記憶が昔に戻っているが、ふとした拍子に歯車がかみ合い現実に返っている。 昔の世界と今を行ったりきたりしているようだ。
自分の年齢も分からなくなった母。 いつかは娘の顔も認識できなくなる日がくるだろう。 山ばかり登ってないで、たまには田舎に帰って親孝行せねばと思う日々でもある。
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H22年 11月 7日 (日) 曇
久しぶりに宝塚歌劇の観劇に出かけてきた。 いつも山ばかり出かけているので、夫は何を着ていいのかわからないのか、夏物のジャケットとズボンを着ている。 「それはないでしょう?」 着替え直してバタバタと出かける。
★ 星組公演 ミュージカル「愛と青春の旅立ち」
リチャード・ギア主演で日本でも大ヒットした青春映画の名作。
貸切公演とあって、初めて見る人も多いのだろうか、総じて静かな雰囲気だった。 男役は何回見ても凛々しくて美しい。 超豪華衣装と舞台装置にも目を奪われる。
ただ、このミュージカルは宝塚向きではないという印象を覚えた。
気になったのが台詞。 もう少し宝塚風にアレンジしたほうがよかったのではないかと思えた。 トップスターの柚希礼音は、声も演技も申し分ないが、軍曹役などは難しい役処だったのか、演技力が伴っていなかった。 トップコンビに助けられたという印象をもったが、熱心な宝塚ファンは、どう感じとったのだろう。
夫に感想を聞くと「学芸会のようだった。」という。 そういえば、前回も同じことを言っていた。 そもそも、宝塚に夫と来るのが間違っている^^ おまけに「えらい濃い化粧やなー」という。 私は3倍のオペラグラスで観ていたが、夫は7倍の単眼鏡で見ていたので、メイクがはっきり見えたのだろう。 舞台で映えるよう考えられた独特のメイクが、夫には不思議に思えるようだ。
その上、家に帰るなり座席料金を見て、「こんなにするんだったら、山に何回もいけるなぁ」という。 私は、たまには優雅な気分になれるお芝居やショーも見たいと思うが、夫の頭の中は、山一色のようである。
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H22年 11月 4日 (木) 晴
朝夕めっきり冷え込む季節になりましたね。 家の近くの街路樹もずいぶんと紅葉が進んでいます。 この季節、紅葉の並木道の中を歩くのはなんとも気持ちがいいものです。
真っ赤に染まった木もあれば、緑と赤のマーブル状態の木々もある。 赤黄緑のグラディエーションが、青空に映えて美しい。
近頃、良く見かける木だが、何という木だろう。 いつも見ている木なのに、名前を知らない。 落ち葉の掃除をされていた人に尋ねてみると「アメリカフウ」と言う木だと教えてくれた。 早速家に帰って調べてみたら、モミジバフウともいい(フウとは楓のこと)、北米、中南米原産の木で、マンサク科フウ属の落葉高木とあった。 日本には、大正時代に渡来して、街路樹や公園木として、植栽されているようだ。
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