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 山ちゃんの晴れたらいいね

四季もごもご  No.8

「悲喜交々」ならぬ、「四季もごもご」。 ブログ風雑文コーナーです。
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空
H23年 3月31日 (木)  


いよいよ春本番ですね。 今日は暑からず寒からずの散歩日和。 ご近所さんと連れ立って森林植物園に出かけてきた。 植物園は徒歩で行ける範疇のため、どうしても行く頻度が高くなる^^ 確か半月前にも行ったような?(*'‐'*)


以前行ったときには福寿草やユキワリイチゲが咲いていたが、今日はスハマソウやカタクリの花がロックガーデンに彩りを添えていた。 エゾムラサキツツジやコブシの花も咲き始めていたが、一番花を咲かせていたのは、私たちのお喋りだろうか^^

スハマソウ カタクリ エゾムラサキツツジ



スハマソウやカタクリの花を見ると3年前に行った佐渡を思い出す。 丁度連休頃、ドンデン山からアオネバ渓谷を歩いたが、カタクリやキクザキイチ、オオミスミソウ、シラネアオイなどの花々が登山道を埋め尽くしていた。 多種多様な花々を見て、島とはこんなにもすばらしい自然が残るものなのだろうかと感動しきりだった記憶がある。 カタクリの花一つとっても色の深みが違う。 美しい花を咲かせるには、佐渡のような厳しい自然条件が必要なのだろう。


もう一度歩いてみたい山は数あるが、花好きな私は、佐渡を筆頭にあげるだろう。 またいつの日かあの山上の花の楽園を訪ね、百家繚乱の世界を味わってみたいと思っている。


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H23年 3月29日 (火)  


未曾有の大災害から半月余が過ぎたが、依然として約18万人が避難生活を余儀なくされている。 それでも少しずつではあるが復興の兆しが見え始めてきた。


仮設住宅の建設や募集も始まり、電気や電話回線、電車の一部運転再開などライフラインの復旧も徐々にではあるが、進み始めている。


今日の新聞には、阪神大震災を経験した市民らによる関西ボランティアが被災地に出発したと言う記事が載っていた。 県の募集に応じた69人が、家屋の泥かきや家具の運び出しを手伝うという。 ボランティアの中には、瓦礫の中から写真や賞状、位牌などを探す「思い出探し隊」や傷ついた子供たちの心のケアに取り組んでいる人もいる。 皆がそれぞれの立場で今自分にできることを考え、危機感と連帯感を持って動き始めている。


被災地に赴かなくてもできることもある。 ホームステイの形で被災者を受け入れたり、お菓子や日用品や衣類をまとめて送ったり、なかには、ランドセルを買うために大切に仕舞っておいた入学金を盗まれた親子に、ランドセルを送った夫婦もいる。


ランドセルメーカーでは、使い終わったランドセルを修理して、現地の子供たちに送る活動をしているところもあるようだ。


そんな心温まるニュースの一方、福島のキャベツ農家の男性が自殺したニュースや原発5キロ圏の男性の遺体が放射線量が多くて収容できないという情報もある。


電力不足の長期化や放射能汚染の脅威など、原発事故が復興の足かせになっているのは誰の目にも明らかである。 事故現場では、今この瞬間も被曝の危険と隣り合わせで放射能と闘っている人もいる。 家で待つ家族も周辺の人々もどんなにか不安や恐怖を感じていることでしょう。
原発危機が一日も早く終息に向かうことを祈るばかりです。


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H23年 3月26日 (土)  


大阪湾 今日は、2月下旬の寒さと聞いていたので、防寒対策を万全にして、リトル比良を歩く予定で出かけた。 なのに、滋賀に向かう途中急に大雪が降り出した。 雪雲が立ちこめ視界は真っ白w(°o°)w  「うっそ~。なんで? 山歩きどころじゃないわー o( _ _ )o 」 リトル比良は断念し、引き返すしかない。 帰路は渋滞に巻き込まれ沈鬱な気分で帰ってきた。 ショック! こんなご時勢なのに、ガソリンを無駄に浪費してしまった\( . . )


 神戸に帰ってきた時には、10時を回っていた。 「これからどうしよう」 そうだ、困ったときの六甲山。 タムシバが咲いてるかもしれない。
 有馬に車を停め、炭屋道から魚屋道を辿って六甲山頂を目指し歩き始める。


コゲラ 六甲山の春はタムシバから始まると言われている。 特に有馬にはこの花が多く、地元の人はタムシバのことを「コブシ」と呼び、「コブシが沢山咲くとお客さんが多い」と言って喜ばれるという。


 「まだ早すぎるのかな?」 冬枯れの道をキョロキョロと、タムシバの花を探しながら歩くも、蕾さえも見つからない。
 裏六甲に本格的な春が訪れるのは、もう少し先になりそうだ。


 有馬から六甲山頂まで1時間35分。 山頂は風が強く、粉雪が舞っていた。 寒くてゆっくり昼食も摂れない。 二人して鼻汁を垂らしながら足早に下山した。     登山ルート地図


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H23年 3月24日 (木)  


 先日歩いた丹生山(たんじょうさん)系にはユニークな名前の山が多い。 最初に登ったのは、シビレ山。 南側には、つくはら湖を挟んで対峙するシブレ山もある。 帝釈山の先には、稚子ヶ墓山や花折山という風変わりな名前の山もある。 少し気になったので由来を調べてみた。


シビレ山の名前の由来
 昔、丹生山では「丹」が採れていた。 修験者や山伏は丹を使って不老長寿の妙薬を調合したが、丹の鉱毒、水銀中毒でシビレることがあったのでシビレ山となった、と言われているが真偽のほどは定かでない。 シブレ山の由来も不明。


稚子ヶ墓山と花折山の名前の由来
稚子ヶ墓 天正7年(1579)信長の命を受けた秀吉が、三木城の別所長治を攻めた世にいう播州征伐(三木合戦)の時、明要寺は領主別所氏に加担したとして秀吉軍の激しい攻撃にさらされた。 寺は焚かれ、人は殺戮された。 このとき丹生山や奥の院の帝釈山にいた幼い稚児たちに至るまで容赦なく無惨に殺されてしまったのを、里人たちが哀れんでその亡骸を埋めたのが稚子ヶ墓で、その手向けの花を採ったのがその東隣の峰で、花折山という。


 稚子ヶ墓山頂には今も石積の墓が残っていて、傍らに椿の木が植えられている。 石積みには「伝説の椿を守ろう」と記されていた。 花の形を崩さずに散る椿のように、一瞬にして散った稚児への追悼の想いが込められているのだろう。


 戦国時代の歴史が色濃く残る丹生山系。 最高峰でもある稚子ヶ墓山にはこんな悲しい歴史があったのですね。 いつか手向けの花を採ったという花折山も歩いてみたいと思っている。


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H23年 3月23日 (水)  


 春分の日を過ぎ、各地から少しずつソメイヨシノの開花の知らせが届くようになってきた。
 天変地異が起きても季節は確実に進んでいるようです。


 あの大地震以来、桜のことなどすっかり忘れていた。 毎年桜の開花を楽しみにしてきたのに、こんな年もあるのですね。
 どんな大災害が起きようとも春は巡ってくる。 そして春を感じて花は咲きはじめる。


 桜は、見る者を和やかにし、明るい気分にさせてくれる。 被災地の方々にも、桜の花はひとときの安らぎを与えてくれることでしょう。


 今日は、「がんばろう! 日本」をスローガンに高校野球も開幕した。 東北のチームは満足に練習できなかっただろうが、全力プレーで被災地に活力と勇気を与えて欲しいものです。


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H23年 3月20日 ()  


 今日の午前中はまずまずの天気だったので、気になっていた雛人形を片付けた。
 娘はもう既に嫁に行き遅れているので^^いつ仕舞っても構わないが、そうかと言っていつまでも出しておくわけにも行かない。
 だが、この片付けがややこしい。 収納箱のなかにパズルのように配置を考えながら収めなければならない。 四苦八苦してなんとか片付けが終了した。


いかなごの釘煮 昼からは、神戸の郷土料理である「いかなごの釘煮」を作った。 釘煮は長期保存が利くので常備菜にもなる。 いかなごの味付けは家庭によってさまざまで、我が家では生姜をたっぷり入れるが、鷹の爪を入れピリ辛味にしたり、山椒やゆず風味にされる家庭もあるようだ。


 このあたりでは、しんこ貧乏(いかなご貧乏)という言葉がある。 いかなごを鍋いっぱい炊いてあちこちに送るため貧乏になるのだと言う。 なかには20kg~30kgも炊く人もいるというから驚きだ。


 我が家は今年2kg炊いたが、若干煮崩れ気味。 来年はもっと気合をいれて炊こう!


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ツクシH23年 3月18日 (金)  


 昨日、一昨日と雪の降る寒い日が続いたが、今日は風もなく陽射しがやわらかい。
 この地でもつくしが顔を出し始めた。 地温が徐々に上がり始めているようだ。
 以前つくしが食べられると聞いて料理してみたが、正直美味しいとは言い難かった。 以来つくしは、食べるものではなく、眺めて春を感じるものだと知った。


オオイヌノフグリ
 早春から咲いていたオオイヌノフグリも春の陽射しを浴びて元気いっぱい咲いている。 一つ一つの花は小さいが、群咲く様は美しい。
 存在感と芯の強さを感じる花である。



イタチ  河原近くを歩いているとイタチの姿を発見。 関西を中心に増え続けているというチョウセンイタチだろうか。 ニホンイタチを山に追いやって都市部を席巻していると聞くが初めて見るので判別できない。 動きがかなり俊敏だが、追視していると食事が始まった。 イタチは雑食で、主にネズミや昆虫、果実を食べるという。 今日の昼食は虫のようだった。


 どんなところにも命の営みがある。 そして命は巡っていく。


 ひっそり息を潜めていた生き物たちが動き出し、草木も次々と花開かせ心和ませてくれる春・・。 このごろ散歩が楽しくなってきた。
 明日はどんな出会いがあるだろうか・・。


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H23年 3月16日 (水)  


 暖かかった昨日とは一転して、今日はなごり雪が降る寒い一日となった。
 被災地では真冬並みの厳しい寒さに見舞われているという。 避難されてる方々は、どんなにか寒くて不安な夜を過ごされていることでしょう。


 そんな中、被災地以外でも食品や生活用品の買いだめ現象が起きている。 東京近辺だけでなく、このあたりでもお米や電池が売り切れ、カップ麺、トイレットペーパー、ティッシュなども品薄になっている。 今日もスーパーで、お米を2袋抱えている人も見かけた。
 地震による不安が募っての行動だろうが、今本当に物資が必要なのは被災地である。 せめて不要不急の買い物は控えたいものです。


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H23年 3月15日 (火)  


 東日本大地震から五日目を迎えたが、未だ被害の全貌が見えてこない。
 津波が引いて、泥だらけの廃墟と化した街は目を覆うばかりだ。 まさに地獄図絵・・。 現実にこんなことがあっていいものだろうか。 いつまでたってもこの状況を受け入れられず、遠い国のことのように思えてならない。
 だが、死亡者も行方不明者も日に日に増えている。 悲しいことだが、これが現実である。


 被災地が近ければ炊き出しのお手伝いもできるが、交通が遮断され遠隔地のためボランティアにもいけない。 ただただ事の成り行きを見守るしかない。 そんな無力な自分がもどかしい。


 こんな時、自分に何ができるのだろう。 思いつくのは、募金か義捐金を送るぐらいである。 「そうだ、今できることをしよう・・。」 早速昨日、宮城県対策本部の方に気持ちばかりのお金を送らせていただいた。 僅かな金額ではあるが、何かのお役に立てていただければと思っている。


 亡くなられた方々のご冥福をお祈りすると共に、被災地の一刻も早い復興を願ってやみません。


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H23年 3月13日 ()  


 世界最大級の大地震が発生して二日目の夜が明けた。 誰がこれだけの大地震や大津波を予想しただろう。 一瞬にして家や家族を失った方々の苦しみや悲しみはいかばかりかと心が痛む。


 瓦礫と海水の混じりあった津波が濁流になって、船や家屋や道路が流されていく映像は、いまだに現実の出来事とは思えない。 自然の猛威の前では、人はいかに無力かをあらためて思い知らされた。


 被災地の壊滅的な惨状を見て娘は何度も目を潤ませている。 あの阪神大震災の記憶とオーバーラップするものがあるのだろう。 死者不明者は3000人超、安否不明者は数万人とも言われている。 これ以上被害が拡大しないことを願わずにはいられない。


 津波は漸く落ち着き始めているが、余震もまだ収まっていない。 原発の建屋爆発による放射能漏れなどもあり、被災地の方々は眠れぬ夜を過ごされていることだろう。


 まずは人命救助と被災地の早急な支援。 こういうときこそ総理大臣に強いリーダーシップを発揮して欲しいものです。


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H23年 3月12日 (土)  


 ハードディスクからプツプツと変な音がした。 不安が的中。 エラーが出て動かない。 こうなると機械オンチの私には手も足も出ない。 PCオタクの夫に頼むしかない。(3月9日の出来事)


 ここからは夫にバトンタッチ


 2005年から使っていた妻用パソコンがクラッシュした。 フォトを見ていただけらしいが、起動してもブルースクリーンで、立ち上がらない。 ハードディスク自体の故障を疑ったが、単体故障は検出されない。
 手入れもしていなかったので、エアコンプレッサーを取出し、内部の埃を吹き飛ばす掃除から始める。 買ってあったハードディスクを利用し、コピーツールを使って丸ごとバックアップを取ってから、修復に取りかかる。 3台のマシンを使い、点検と修復を並行して行う。
 データ等は読み取りに問題なく、どうやらOSのクラッシュのようだ。 新しくインストールするのは簡単だが、使い馴らした設定が飛んでしまう。 出来るだけ環境を維持したまま修復したいので、あれこれソフトを組み合わせてOSの修復が出来る状態にし、欠損した部分の修復とアップデートを行った。 所要時間約5時間、一日がかりでも終わらない覚悟をしていたが、思っていたよりも軽傷でめでたしめでたし。
 何が原因だったのか、ヘッドの捻じれが起きて、OSファイルの一部が想定外に変更されてしまったような感じがする。 昔ならともかく、今は起こらないはずと思っていたが、こんなこともあるのですね。 災いは忘れたころにしかやってこないらしいので、バックアップなどの対策はしないでおくことにした。


 東日本大地震・大津波に被災された皆様に心からお見舞い申し上げます。


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H23年 3月 9日 (水)  


マンサク 先週六甲山を歩いたというボランティア仲間から「マンサクの花が綺麗だったよ」との情報を得たので、早速有馬の山を歩いてきた。


 冬枯れの景色の中、真っ先に黄色の花を咲かせ、春の到来を告げるマンサク。 枝いっぱいに花を付けるので「満咲く」や「豊年満作」からきたという説と、春に先がけて「まんず咲く」が訛ったという説がある。


 六甲山では珍しくなったマンサクの花も、この筆屋道では随所で見ることができる。
 ただ、来た時期が少し遅すぎたようだ。 満開の花もあったが、全体的にピークを過ぎた花が多く色褪せて見えた。


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H23年 3月 8日 (火)  


 50歳を過ぎた頃から病気に好かれるようになった^^ 坐骨神経痛や低体温症が完治しかけたかと思うと今度は耳鳴りが始まった。 この10日ほど、金属音ともセミの鳴く音とも表現のしようのない音が耳について離れない。 眠れないほどではないが、生活音のないところでは、耳障りなノイズになる。 今のところ高い音でもないので、無視できなくもないが、もしかすると難聴を伴っていたり、別の重篤な疾患があるのかもしれない。 そんな不安もあり、とりあえず耳鼻科を受診することにした。


 問診と診察と聴力検査。 耳の鼓膜も、聴力検査も全く異常が出なかったため、「詳しい検査は必要ないでしょう」ということになった。 覚悟して行ったのにこれだけ?? 異常がないと言うことは喜ぶべきか? だが、耳鳴りの原因がわからないと言われれば、引き下がるしかない。 「カルナクリン錠」を二週間分処方して貰って帰ってきた。


 どうも私の体は繊細にできてるようである。 体がいろいろな刺激に反応してしまうようだ。 もっと図太くてタフならいいのにと思うが、なかなか思い通りにいかない。


 でも、考えて治るものでもない。 生理的な耳鳴りもあるのだから、あまり気にしないのが一番。 もう少し暖かくなって外出する機会が増え、大好きな山の花でも愛でてるうちにいつか治るだろうと今は楽観している。


 そこで今日は、屋久島個人旅行のフリープランを申し込んできた。
 以前から歩いてみたかった縄文杉を目指す22kmのロングコース。 往復10時間ほどかかるようなので体力がちょっぴり心配だが、今からとても楽しみにしている ☆⌒(*^∇゜)v


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H23年 3月 3日 (木)  


散らし寿司 今日は、冬に戻ったような寒~い一日でしたね♪
 当地も雪が舞って、六甲山頂あたりは雪化粧をしています。
 春は、一足飛びとはいかないようです。


 今日3月3日はお雛祭りということで、久しぶりに散らし寿司を作ってみました。
 私が子供の頃には、お寿司といえば散らし寿司でしたが、今の子供たちは手巻きの方を喜ぶようです。 我が家では、お祝い事に関係なく、食卓にしばしば手巻き寿司が登場します。 ちょっと手抜きができて、子供も喜んでくれるのでこれ幸いとばかりに作ってます(*^。^*)ノ


イチゴアイスケーキ なので、散らし寿司の方は、一年に一度登場すればいい方です。 具材も気分次第。
 でも今日はお雛祭りなので、お花畑を意識して春っぽく作ってみました。
 菜の花の胡麻和えやうしお汁も添えて・・。
 散らし寿司、三人家族なのに作りすぎたかな?


 さくら餅も作る予定にしていましたが、桜の葉(塩漬け)が近くで手に入らなかったので、急遽イチゴアイスケーキになっちゃいました~♪


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H23年 3月 1日 (火)  


 2月は逃げて走って今日は3月1日。 どうも私の誕生日のようである^^  送る月日に関守なし。 いつの間にか一年が立ち、気が付けば還暦が近づきつつある。


 だが、誕生日といっても、朝起きて洗濯して掃除してアイロンかけて・・ 昨日となんら変わらない一日。 どこに出かけるでもない。 単に365日のうちの一日に過ぎない。 もうこの年になると誕生日もさほど嬉しくもない。 皆こんなものだろうか。


 私達夫婦は記念日と言うものに全く拘りがなく、いつも結婚記念日を忘れている^^ 夫が忘れるのは解るが、私の方もすっかり忘れている(-^〇^-)  それでも昔は、記念日が過ぎてから二人で食事に行ったりすることもあったが、それも最初の10年まで。 今存在するのは、誕生日くらいなものである。


 夫は忙しい中でも私の誕生日だけは忘れずにいてくれている。
 ただ、ある年からプレゼントを考えるのが面倒になったのだろうか、毎年深紅のバラの花束を買ってくるようになった。
 プレゼントをしてくれるだけでも感謝しなければならないのに、私はその強烈な印象を受ける深紅のバラが好きになれず、ある年「もういらない」と断ってしまった。 夫は何も言わなかったが、ショックを受けたことだろう。
 そのことを友人達に話すと「ご主人が気の毒」「わがまま」「酷い」と集中砲火を浴びてしまった。 夫の気持ちも考えずわがままだったと、今でも悔いている<(。_。)>


 誕生日と言うものは、自分がこの世に生を受け、今を生きている、生かされていることを実感する日でもある。 生んで育ててくれた両親や支えてくれる家族に、いつも感謝の気持ちを忘れずにいたいと思っている。


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